シンガポールという国~わたしに背を向けた人~海外生活の明と暗

シンガポール

 

しんちゃお。
乾季に入って湿度低め、1年で一番涼しいベトナムからくろまめです。

今日は少しだけ真面目にシンガポール生活での体験を振り返ってみます。

 

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シンガポールという国

“シンガポール”という言葉で皆さんは何を思い浮かべますか。

コンドミニアムはリゾートホテルのよう。
ヤシの木で囲まれた鮮やかな青色のプール。
どの家も図ったようにバルコニーの窓を開け放してテラス用のテーブルセットを置いて食事をしている。

夜になってもカーテンは閉めない。
真向かいの家がどんなインテリアなのか、訪ねて行かずともよくわかる。
見ようとしなくても目に飛び込んでくるは夫婦げんかの様子だったり、赤ちゃんをあやしている姿だったり。

家族が出かけた後にメイドさんがソファに寝転んでスマホに夢中になっていることすらも見えてしまう。

室内の配置が微妙で日本のようにちょうど良い場所にコンセントがついていたり、綺麗な仕上げはされていない。
狭いながらも快適な日本の家に慣れていると家の造りには違和感がある。
壁は白すぎて目がチカチカする。

季節の移り変わりはなく、年中同じ景色。
乾季になれば落ちる葉の量が少し多くなる。
それでも街路樹はいつでも綺麗に刈り込まれ、道路は毎日ワーカーの人たちがゴミも落ち葉もすっきりと綺麗にしてくれる。

同じ時間に陽が上り、同じ時間に陽が沈む。
むせ返るような湿気や暑さ。

夕方になるとたくさんの人が集まるモスク。
朝夕にアザーンの声が響き渡り、吹く風が強く空が暗くなってスコールが来る。

淡路島ほどの大きさの国にはMRTの路線がたくさんある。
路線バスは縦横無尽に走る。
どれもこれもピカピカのバスはそのうえ交通費も安い。
アプリでバスの路線も料金も一発検索、到着時間もすぐ分かる。

通信速度が速い。
インフラで日本より先をいく国。

異国情緒にあふれる赤道直下の熱帯の国。

 

背を向ける高齢者

ある日、街中からインド系の大型スーパーに行くためにバスに乗った。
乗客は多くはない。
バスの運転が粗く危ないので空いている席を探して座る。

隣にはかなり高齢の女性がひとりで座っていた。
座った途端にじっと顔を見つめてくる。

しばらくすると「あなたはどこから来たのか」と英語で尋ねて来た。

アンテナが反応する。
最初に「どこから来たのか(出身地)」と尋ねられれば身構える。
シンガポールは歴史的に日本に占領された過去があり、その時代の被害者家族も多く健在だからだ。

とっさに身体を固くしたのは彼女の尋ね方があからさまに冷淡だったから。
嘘をつくことは出来ないので、小さく日本人だと伝えた。

嫌な予感は的中して、彼女は目も合わせることもなくくるっと私に背を向けた。
二度と振り返ることはなかった。

バス停で言えば5区間くらいの間だったと思う。
初めてのことではなかったが、すぐに席を立つことは憚れた。
時間が途方もなく長く感じた。

きっと彼女も凄惨な過去を経験している。
心から申し訳ない気持ちになった。

 

それぞれの思い

友人(日本人)のご主人であるシンガポール人のことを思い出していた。
彼は何度かわたしをチャンギ博物館へ誘ってきた。

 

チャンギ博物館とは
日本占領期のシンガポール戦時史について展示する現在のチャンギ空港のほど近くにある博物館

(わたしはこの凄惨な過去をシンガポールに移住してからさらに詳しく調べ、内容は知っていた)

 

彼の家族は日本人に対する敵対心や恨みは無いと言った。
母親はマレーシアのジョホールバルに近い農村の出身で、まだ大勢の親族が住んでいる。
戦時中は日本兵に食糧面でよく助けてもらったこともあり、日本人に対しては好意的だと言った。

友人の誘いで一度彼の実家にお邪魔したことがある。
中華系の小柄なお母さんはわたしをにこやかに迎えてくれた。
彼は「妻は日本人の友人を何人かここに招いたことがある」と言った。

中国語で挨拶したことを後になって「日本人に初めて中国語で挨拶されて嬉しかった」と言ってくれた。

父親は中国の潮州から渡ったシンガポール人で、戦時中は幸運にも難を逃れていた。
博識な父親は日本の文化にも造詣が深く、長年日本式書道を趣味としていて、息子を日本に留学させた。
日本人の妻を迎えたいと言った時にも手放しで喜んだという。

しかしどうだろう。
彼(友人の夫)が生きてきた中で周りにはその影響を受けた人も少なからずいただろう。
そしてそんな過去に心を痛めたこともあっただろう。

知人も長年住んでいる部屋のオーナーにあるとき

「実は私の親戚の子供は日本兵に連れていかれてそれ以降行方が分からない。それは家族にとって絶対に消えない悲しい過去だ。しかしあなたのことを日本兵と同じようには思っていない。」と言われたと言う。

日本人だと知って部屋を貸して数年経った後にそのことを話す。
その話を彼はどう聞いただろうか。

双方の気持ちが複雑すぎて言葉にはならない。

一時的な移住者である自分ですら、そのような話を聞くことがあるのだから高齢婦人の冷淡さは当然だろうとと思う。

自分が直接影響を受けなかったから全てを消すことはできない事を彼の行動は示していた。

チャンギ博物館に誘った彼も戦時中のことを日本人に少しでも知ってもらいたいという一心だったのだと理解している。

 

海外移住への意識

その国に住むということはどういう理由であれ〝その国に住まわせてもらっている〟ことだと思う。どんなに社会貢献できたとしても、一生住むのではない限り、あくまでもよそ者でしかない。

これからも自分がどこに住んだとしても、その気持ちはいつもどこか頭の中に置いておきたい。
日本の外に出たことでわたしはそう学んだ。

祖国を愛し家族を愛する気持ちは世界共通だ。
わたしも母親が戦中戦後に受けた心の傷を胸の中に置いたままだから。

海外に住むことになったなら、自分の国との関係性、とくに歴史的な事実を知ろうとしなければならない。

 

画像1

 

シンガポールのイメージ

シンガポールに引っ越すために退職する事を知った取引先や同僚たちは口を揃えて言った。

「シンガポールって綺麗で素敵な国よね」

シンガポールに住んだ日本人なら耳にタコができるくらい聞かされたセリフだろう。
到着した空港は広く美しく、ごみひとつ落ちてはいない。
トイレに行けば今なら日本さながらウオシュレットまで付いている。

隣のChangi Jwelは40メートルの滝が屋内に流れる最先端の施設だ。

空港から街中までの広い高速道路。
等間隔に植えられた背の高いヤシの木。
点在する歩道橋には人びとを歓迎するように色とりどりのブーゲンビリアがあふれ、いま自分が南国に着いたことを実感できる。

だんだんと金融街の高層ビル群が見えてくる。
ショッピングエリアに行けば季節ごとのオブジェが飾り付けられ華やかで近代的な街並みに都会的な匂いを感じるだろう。

 

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【アプリで簡単】シンガポールの賃貸探し 効率的な6つの手順
シンガポールの現地採用に帯同して5年住んだ経験を元に住居探しのアプリ活用やシンガポールの賃貸の現状についてまとめました。 効率的に物件探しができればホテル代も節約できて一石二鳥、観光もできちゃいますね。実例を交えつつ解説しています。

 

シンガポールの側面

シンガポールはマリーナベイサンズや金融街などの煌びやかな整ったものだけではない。

街中だけで過ごせば、整備された高速道路を走るトラックの荷台に乗せられる大勢の外国人作業員を見かける事もない。

建設現場で働く人々が狭い宿舎を出て芝生の上で食事をする。
仕事終わりには道端に座って大型バスを待つ。
日曜日にはあちらこちらにブルーシートを敷いて話し込むメイドさんたち。
屋台で食器を下げにくる足を引きずるユニフォーム姿の高齢者の姿。

そういうものを見る機会は極端に少ないと思う。

『Do you like Singapore?』

シンガポールは好きかと必ず聞いてくるシンガポール人だって心の中は単純ではない。
どんな国だってキラキラしたものに隠れたその国ならではの側面がたくさんある。

いまや日本人にも人気のこの国にはたくさんの観光客が訪れる。

人が自由に行き来できたコロナ禍の前、シンガポールは人気の高い観光地だった。
マリーナ辺りへ行けば日本人のいない日はない。
大勢の日本人がマーライオンの前でポーズを取り楽しそうに過ごしている。

しかし一方で電車の中などで「政府公認の置屋があるんだぜ、行ってみよう」などと声高に話す場面も残寝ながら何度か目にした。
その都度、身の縮まる思いがする。

それが気分を高揚させる旅先での言動であったとしても、電車にも日本語を理解する人は少なからず乗っている。

ガイドブックに歴史問題は詳しく書いてはいない。
ネット上で検索できる旅行記にだって詳細には書いてはいないだろう。

観光ではなく住むことを許された者には相応しい振る舞いがあるのではないかと思う。
この世の春とばかりに謳歌する人たちにも、ほんの少し知ってもらえたらと思う。

どんな国でも複雑な背景と矛盾を持っている。

 

海外移住の明と暗

過去に33の国を旅した。
同じ国に何度も足を運ぶほど好きな国もある。

でも…自分はどのくらいの国の歴史を知ってから出かけていただろうか。
もしも歴史や背景を知ってから訪れたなら短い滞在期間ながら、もっと興味深く旅をすることができたのではないだろうか。

その歴史に想いを寄せて、いろいろなことを感じ、旅はより深く心に刻まれただろう。

シンガポールに住んでいると「華やかで良いわね」ベトナムに住めば「物価が安くて楽でしょう」

“海外生活にあこがれる”

“刺激的でいいよね”

そんなイメージ先行の言葉を耳にする。

もちろん海外生活は日本では知りえないことを知り、文化芸術に触れ、その国独特の空気に五感で触れて見聞は確実に広まる。
しかし移住は明るい部分だけではけっしてない。

日本のしがらみから離れる一方でまた違うしがらみもできてしまうものだ。

「住んでみたら何が大変ですか?」と聞いてくる人はいない。

 

いつの日か

次に旅ができる機会はいつ訪れるだろうか。

もしそんな幸運が巡って来たなら、出かける前に歴史探訪から始めるのも素敵かもしれない。

海外に行けない今はなおのこと、シンガポールの人々のこと旅先で出会った人たちのことに思いを馳せる。
ベトナムで出会う人たちのこと、そして日本の人たちのことを思う。

いつか自由に国をまたいで行き来できるようになって欲しい。

またそんな日を迎えたいね。

 

 

くろまめ

 

 

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