しんちゃお。
本日も朝からあつあつベトナムからくろまめです。
2週間ほどまえから北部地方で発生したクラスターで、またも不穏な空気が漂うベトナム。
学校は翌日からいきなり夏休みがスタート。
そしてリモートワークのひとも多いはずのこの時期。
前触れもなしに工事が始まった。
このアパート、ベッドのヘッドボードが壁に固定されてる、いわゆる備え付け。
壁を掘るドリル音が朝7時ころからスタート。
頭頂部から伝わってくる爆音と振動。
ギュインギュインガガガガッガガーードドドドドドドドド
手術室でいまなう開頭される夢かと思った!なんじゃこの激しい目覚まし!
今もこのPCから薄い壁1枚隔てた向こうで工事の真っ最中。
今日あたり壁を突き破ってくるかもしらん。。。
そしてバスルームの白い便器の蓋を覆う排気口からのゴミ。。。
ああ、無情、寝坊できないとは。
今夜から逆向きの北枕で寝てやりますよね。
さて、スマホが突然無くなってしまってからの日々。
しんちゃおじゃねーよ!その後アレはどうなったんだよ!
おっせーんだよ!なにのんびりしてんだよ!はよ更新しろよ!
そりゃあもう非難ごうごうでしょう、でしょうとも。
2週間以上経っても、いまだに原因わからず。
もやもやとした後悔と左目のぴくぴくが止まらない。
もはや自分の中で黒歴史と認定され、脳みそも記憶を引っ張り出すことを拒否しているもよう。
カフェにいたあの人たちも怪しくない?じんわり疑ってしまう。
ブログ記事を読んだフレンドピーポーからすぐにメッセージが続々届いた。
なかには「中古のiPhone買って送ったる!」という太っ腹の友人もwww
え…ありがてぇ。(泣)
でも、おいらとLINEが繋がってる時点ですでにスマホは…関税もかかるしね(文字数
とにかく気遣いに感謝なのだ!
↓何が起きたのかわからなかったあの悲劇
【ぼっちホーチミン悲劇】スマホが突然消えたその後inベトナム
汚い道路に膝をつけて慟哭したくなるほどの衝撃に襲われたあの日。
おいらのスマホ…どこ…
パニック状態のあたまでも(どうしよう…誰とも連絡がつかなくなった)
色白でもないのに顔が真っ白になってたと思う。
スマホがなければ連絡先がないだけじゃない。
公衆電話もなし、自宅に電話もなし。
連絡手段自体がゼロ。かなりストロングなゼロ。
1日数回LINEをしてくるオット…。
既読になることもなく、日をまたいでも返信しなかったら?どうなる?
パニックになるに違いない。
まだハゲてはないけど、心配しすぎてハゲちゃうかもしらん。
唯一の移動手段のタクシーを探す。しかしどこに行けば?
連絡手段がないと同時に移動の手段も限られる。
使えるのはタクシーだけ。
ベトナム語が話せないけど、言葉は通じるだろうか。
いままで、どれだけアプリに頼ってた生活だったのか…。
ぼーっと灼熱の路上にずっと立っているわけにもいかず、重いからだを引きずり、タクシーを探した。
しかし行き先は…?
何処に行けばいいの?
本心を言えば、まっすぐ家に帰ってipadでスマホを探したい。
というか、もう家に帰りたい。
しかし家に帰ってipadで【iPhoneを探す】機能を使ったとしても、もう見つかることはないのだ。
スマホに入っていたSIMカードもすでに抜かれて処分されてしまった後では。
とにかくどうにかしなければ。
中古のスマホはどこに売ってるのだろう。
スマホを売っている場所をスマホで調べることもできない。
う~ん。
知り合いを訪ねて知恵を借りてみようか。
こんなことをお願いできるのはいったい誰だろう。
日本語のできるベトナム人知人から→日本人の友人に連絡をしてもらう。
日本語が堪能なベトナム人女性のもとへタクシーで駆け込み、スマホが無くなったことを話した。
「えっ!ほんとう?」
「え?なんで?」
「え?どこで?」
そりゃ聞くよね。そりゃ聞くわ。
ホーチミン在住の日本人の友人にメッセージを送ってもらうようにお願いした。
facebookで検索してメッセンジャーで送ってくれた。
たまたまその日は土曜日で友人は家にいた。
メッセージを送ってからすぐに折り返しの電話があり「すぐ行く!」と、30分ほどでバイクで駆けつけてくれた。
駆けつけてくれた友人が「スマホと電話番号をGETしよう!」
彼女は家族や友人との連絡用として使っていたアプリを復活させるための解決方法を示してくれた。
まずは中古のスマホを手に入れる。
最初に駆け込んだベトナム人がほんの1週間前にサブ連絡用として買った中古スマホを持っていた。最初は「だめ~」って言っていたけど、友人と二人で頼み込み、日本円で支払う事を条件に譲ってくれることになった。(無理やり)
ベトナムのスマホはすべてSIMフリーなので、あとは中身を調達することになる。
ベトナム語がネイティブの友人にSIMの再発行をサポートしてもらう。
友人は駆けつけてくれるまえに契約しているSIMの携帯電話会社に立ち寄ってくれていた。
その日は4連休中の3日目で祝日だったから、念のためお店が開いているかと営業時間を確認してくれたという。
「閉店の16時にぎりぎり間に合うかもしれないから行ってみよう!」とバイクの後ろに乗せて連れて行ってくれた。
SIMカードが自分名義で、なおかつ再発行理由が盗難紛失ならば同じ番号で可能らしい。
しかしSIMが自分名義かどうかはわからない。
ホーチミンへはいつもどおりにオットが先に着任していたし、自分で買った記憶もない。
カウンターで友人が事情を説明してパスポートを出し、再発行を依頼した。数分待つとカウンターの女性社員が「別人の名義だから変更出来ないよ」と言う。
やはりSIMカードはオットの名義か。。。
友人がベトナム語で事情を話して熱心に説得してくれた。
カウンターで2人の女性社員が話し合いながら
「もしも分かるなら契約者本人の名前をローマ字で書いてみて」
「契約者の生年月日を書いてみて」
「本人確認書類と同じ書体を書いてみて」
「これ漢字ね!OK!」
この3点で再発行許可を取ってくれた。
くろまめは英語力も限りなくゼロに近い。
もしもベトナム語ができる友人がいなければ、こんなにスムーズにはいかなかったと思う。
友人は「これでヨシ!電話番号さえあれば、もとのアプリの大方は復活できるよ!」と言う。
SNSが不得意なこの友人。
SNSのやり方はいつもこちらからレクチャしていたが、いまだに通販すらも利用できていない。
そんな友人からの強めのアドバイス。。。や、やけに重いワ…www
貴重な休日の時間をさいてくれた状況が状況だけに強めでも真剣に受け止めた。
アパートのレセプションデスクで鍵を再発行してもらう。
中古のスマホと元の電話番号が手に入ったので、気持ちは先ほどより少し落ち着いた。
しかしアプリを復活させるにはパスワードや認証が絶対に必要になる。
手帳は持ち歩いてないので、いったん帰宅することにした。
ところが紛失したスマホの手帳型カバーには現金のほか、家のカードキーも入っていた。
カードキーがなければエレベーターホールに入ることもできず、エレベーターの階数指定もできない。
カードキーの再発行にベトナム語が必要になった場合のことを考えて、友人がそのまま家まで送ってくれることになった。
レセプションデスクでは再発行可能を受けてくれた。最近、管理費の送金がうまくいかず直接支払いに行っていたので顔を覚えられているようだった。
この手続きのときになぜかオットの情報を消してから、くろまめの再発行登録をしたようで、いったんオットの情報がなくなる事態に。
時間をかけて登録を戻してもらい、110,000VND(550円)を払って再発行の手続きが終わった。
エレベーターのロックが解除できるようになったので、いつも外で会っていた友人を家に初めて招きいれた。
2人ともほっと一息ついて、冷蔵庫にあった冷えたお茶を飲みながら同時に溜息をついた。友人は家の中の探検、自分はアプリのダウンロードや再登録をはじめた。
LINEはチャット履歴こそ復活できなかったものの、家族や友人とは再び繋がることができた。これがつながっただけで安堵する。
やはりオットからは自作のお弁当の写真が届いていたようだったけど、エラーで見ることはできなくなっていた。
おしゃべりしながらスマホをぽちぽちしていたこの何気ない時間が、実はとても大事だったことが後になってわかった。
ひとりで過ごしていたら再びやりきれない気持ちになったのだと思う。
友人が「済んだことはスパッと忘れて気持ちを切り替えていこう!」
このインターバルの時間で救われた。
悔まれるものがもうひとつ。日本のSIMカードもない。
胸がじりじりするような気持ちをすっきり切り替えたつもりでも、夜ベッドに入ってからは悶々とあの瞬間のことを考えた。
考えればますます眠気は遠のく。
やっと眠りに落ちそうになった時、ハッと思い出したのは手帳型のスマホケースのことだった。ケースの裏側にはもう一つ大事なものが入っていた。
日本の電話番号が入ったSIMカードをマスキングテープで貼りつけてある。
シンガポールのSIMはもうすでに使えなくなっているので問題ない。
しかし日本のSIMカードは長年使い続けてきた電話番号だった。
2ヶ月に1度は帰国していたので、コロナ禍で帰国できなくなってからも解約も休止もせずにずっと続けて使い続けている。
これは痛い。
いつも日本への着陸が近づいたら海外SIMカードを抜いて、日本のSIMに入れ替えていた。たとえ空港Wi-Fiに繋がらなくても、リムジンバスでの移動中でも、家族と連絡が取れていた。SIMを取り出すためのiphoneのピンも同じものは新品のiPhoneを手に入れないと入手できないだろう。
オットに心配をかけたくないので今回のことは話さないつもりでいたけど、日本に帰国するときにSIMカードが無ければ連絡がつかない。再発行手続をすれば当然自宅に送られる。
むむ、これは懺悔のときが近づいているのかもしれぬ。。。
しかし今は帰れるあてもない。今はいい。
SIMのことはゆっくり考えよう。
できることはやった。連絡ができるようになっただけで上等。
とりあえず
・誰の電話番号もわからない
・誰とも連絡がつかない
・路線を調べられずバスに乗ることができない
・Grab TaxiもGrab BikeもGrab foodも利用できない
これが解決できてひと安心。
銀行アプリやクレジットカードアプリは日本の番号で登録しているので、電話認証が取れない。
登録電話番号を変更するにも電話かSMS認証が必要になる。海外在住者のいちばん困ること。
でも、とにかく家族や友人と繋がっただけでも安心できるというもの。
ちなみに局面を迎えていた賃貸契約もオーナーの温情で向こう半年間限定で300$の値引きを続けてくれることになった。
海外ボッチ生活でスマホがなくなって学んだこと。
今回のことで普段は意識しないことを意識した。
スマホが生活には絶対欠かせなくなっていること。
どんなに気をつけていても盗難紛失の可能性があること。
今回のことは盗難であったにせよ、紛失であったにせよ、自分の不注意で起きたこと。
そして困ったときに手を差し伸べてくれるひと。
大丈夫だよと言ってくれるひと。
見返りを求めず力を尽くしてくれるベトナムにいるひとたち。
いつでもどこにいてもそんな人たちの助けで生きてる。自分の周りにあること、あるもの大切にしなければ。
みなさんご心配をおかけしました。
へんがっぷらい。(また会いましょう)
くろまめ
おバカなくろまめに愛の手を。
ポチっとね♪
美味しいプリンも食べたいねぇ。
ポッチリね。