プロフィール くろまめ突如としてブログを再開する。

プロフィール
スポンサーリンク

くろまめブログを再開する

しんちゃお、くろまめです。

このたび3年ぶりにブログを再開することになりました。
遠く離れて暮らす故郷の友人に向けて生存確認で始めたブログ。

シンガポール在住時は「衝撃的文化生活inシンガポール」というタイトルで。
日本とシンガポールのブログ歴を合わせるとちょうど通算10年になります。

ベトナムでは観光地の情報も、食べ歩きの情報もないブログです。

あるのは東南アジア生活びっくり、あるある。
いつでも不真面目、時々まじめに「衝撃的文化生活」です。

 

 

ブログを再開したきっかけ

3年も休んでいたブログをなぜいま再開?

今なう働かず、食う、寝る、観るの生活。(Amazon prime最高)
まさに絵に描いたような穀つぶしっぷり。

ベトナムへ来て3か月後の2020年2月にコロナの影響でオットの仕事がいきなりなくなる。

1月のテト(ベトナムの旧正月)終わりで初の感染者が出たベトナム。
社会主義のこの国では次々と首相発令が出て国際線はごく早い時期から止まった。

隙間なく入っていたフライトスケジュールは瞬く間にゼロになり
フライトは国内線だけに。

外国人パイロットへは無期限無給休暇の通知。

外資系、現地採用へ突き付けられた問答無用の現実。

 

オットがベトナムで仕事を探す

休暇と言えば聞こえは良いけど、無給休暇とは要するに給料がゼロ。
現地採用者は家賃も健康保険も通勤費も引越代も自己負担。

収入がいきなりゼロ…?
シンガポールからベトナムへの海外引越代払ったばかりで貯金もない。

国際線が次々と止まり始めた段階で、オットもひとまずベトナム国内でできる仕事を探し始めた。
しかし企業の多くはリモートになり、外出はままならなくなり、何よりビザの問題があって働けない。

そんな矢先、政府が社会隔離(ロックダウン)するらしいとのニュースが飛び込んできた。

ベトナムの社会隔離は日本の自粛とは全くベツモノ。
もしも仕事が見つかったとして、出勤もできない。

夫婦であわただしく話し合い、オットは必要な荷物を短時間でまとめ、わずかに残っていた日本行きの便に飛び乗っていった。

その翌々日、日本への定期便は全面的にストップ。

 

 

くろまめベトナムで突然ひとりになる

くろまめベトナムに知り合いがいない。
シンガポールから友人のいないベトナムへ引越して来て3ヶ月あまり。

オットが日本へ帰国して、広い部屋でポツンとひとり。
それにしてもこの唐突感。

そしてオットが帰国したあとすぐに社会隔離。

ホーチミンでも次々に隔離閉鎖される地域が出てくる。
ひとり感染者が出たらその接触者の住む地域、学校、飲食店がロック。
市外からの道路には検問が設けられ、学校はテト正月前からずっと休校が続いたまま。

そしてある日、とうとう住んでるマンションの中の1棟がまるごと隔離。
しかも隣の棟…。

隔離された棟の前には長机といすが並べられて緑色の制服の公安警察がずらっと座っている。
威圧感がはんぱない…。
大きなコンテナで運ばれてくる大量の質素なお弁当。

マスク着用義務化スタートしタクシーやバスは止まり、やがて気軽な交通手段であるバイクタクシーも止まった。

外出ができない。
収入がなくなったのに家賃は払わなけらばならない。
荷物を放置して身ひとつで帰国することもできない。

 

オットに「一緒に帰ろうか?」と言われたときに
とっさに頭に浮かんだのは「賃貸の部屋をこのまま放置できない…」
「行って帰ってくるなら飛行機代がもったいない…」

一緒に帰ることはできなかった。

外出もできずどうにもならない八方ふさがりの日々。

何もすることができず、朝から晩まで窓の外を眺める生活が2か月以上。

毎日、窓から見えるサイゴン川ばかりを眺めていた。

 

 

手始めに就職活動を始める

5月に入ってから制限は段階的に解除された。

でも日本への飛行機は飛ぶ気配もない。
国際線は当面再開できないだろう。

家賃払わなきゃ。
仕事探さなきゃ。
段階的解除で、もどかしさを感じる。
それでも、どんな仕事でもいいから探さないと。

外を歩いてみたら家の周りのパン屋さん、カフェやレストランも半分くらい閉店していた。
貸店舗の看板が増えて景色がどんどん変わっていった。
ブンチャー屋さんがなくなった。
パン屋さんが閉店した。
カフェも扉が鎖で巻かれて板が打ち付けられていた。

ホーチミンの大きな靴工場では当日にいきなり7千人を解雇というニュース。
ベトナム人もコロナのせいでたくさんの人が仕事を失った。

そんなご時世、自分が働けそうな仕事は少なかった。
日本の求人サイトや人材スカウトにも迷わず登録した。

 

 

求職活動スタート前に失敗に気づく

ベトナムの社会隔離は段階的に解除になっていき、気持ち的には強制隔離の恐怖から解放されつつあった。

早速、求職活動を始めるぞ。
せめて家賃くらい自分で捻出しなければ。

活動するなら手始めに応募書類を作ろうか。

ところが
履歴書をつくろうとしたらPCが手元にない。

あれ、なんで?

普段は主にiphoneとipadを使っていて、気づいてなかったけど、
シンガポールから引越ししたときに費用や関税の問題で家具家電は発送できずに、PCはいったん日本に持ち帰ったままだった。

荷物も多いし、とりあえずPCは今回置いていこう。

そんな気軽な気持ちだったそうだった。次に一時帰国したときに持っていけばいいや。
PCは日本に置いてままだった。
PCが手元になくて履歴書が作れない。。。

大失敗。
頭を抱えた。

うーん。うーん。
困った。

不思議なことに一番大変だったその3か月間の記憶が今となってはほとんど無い。

黒歴史は記憶から抹消されるって誰かが言ってたけど本当なのかな。

 

日本に帰った夫は配達員へ

いっぽうで日本に帰国したオットはジモティで古い自転車を手に入れてUber Eatsを始めていた。
コロナ禍で主婦までもがUber Eatsを始めていて、どのエリアに行っても激戦だそうだ。

しばらくトライして、Uber Eatsだけの収入ではどうしようもないと判断したオットは中古の軽貨物車を15万円で購入した。

古い軽自動車の写真がいきなりポツンと送られてきた。
なにこれ?

貨物ナンバー登録をして大手配送会社の孫請け社で委託配達員をすることになったという。
週6日をドライバーとして早朝から深夜まで働き、帰り道や休日にUberEatsで働き、週1日の休日は別の配送会社で働いていた。

毎日、日本の深夜の時間帯に「おやすみ」のメールだけが届く。

エレベーターのない集合住宅に30kgの荷物を運ぶとはどれほど大変だろう。

ニュースに映るのは空港に駐機されたままのたくさんの飛行機。
プラモデルのようだった。

先の見えない不安を抱えて、オットは働くことでしか気持ちを保つことができないのだろう。

 

 

就職活動は完敗

汗まみれで働く姿を想像すると自分もじっとしてはいられない。

生活はできるだけ倹約して、何か少しでも自分ができることをしなければならない。

PCがないからとあきらめるのは早い。
手元にあるのはスマホとipadだけ。

アップルペンシルもなければスマートキーボードもない。

そんな時、夫の古いノートパソコンを見つけた。
電源を入れみたがロックが解除できない。
暗証番号もわからない。

あきらめて片づけた。

 

もやもやもやもや…

 

あきらめていい?
あきらめたら他に何かできる?

 

PCが動くようになれば何かできるかもと思って翌日に再び取り出して眺める。
数日寝かして置いたら奇跡的に使えるようになってないかな。笑

取り出してきて電源を入れるが認証に失敗してまた戻す。

数日後、思い切ってアカウントを作り直す。
やっとロックが解除できて希望が見えてきた矢先、今度は文字入力ができない。

なんだこれ!

なぜだ、PC!!
パスワードも設定し直したのに!

そこからはipadで応募書類を作り、その傍らで地道なPC修理作業が始まる。
もちろんメンテナンス知識はゼロ。

いままでPCのメンテナンスは定期的にオットがやってくれていた。
修理なんて無理無理の無理。
言語知識もゼロ。
裏ブタすら開けたこともなく、ファンの掃除とグリースの補充が必要だというのもそのとき初めて知った。

そのころ明らかにipadの使い過ぎ手の指は皮がむけてボロボロ。

 

指は意外にも軟弱でヒリヒリしていた。

 

 

インターネットがつながらない

さらに困ること、それはインターネット通信。

ベトナムには通信制限があって日本のサイトにサクッとつながらない。
夕方から徐々に繋がりにくくなり、特に夜の時間帯はずっとつながらない。

海底ケーブル断線問題。
カニがそんなに光ケーブルはさむ?
なぜはさむの?そこに線があるからよ。

日本並みに高い電気代を節約するために、湿気のたまりやすい寝室だけは冷房して、
リビングの室温は30℃近い。

滝のように流れる冷や汗が目に沁みる。
まぶたの二重部分があせもになって赤く腫れあがる。

職務経歴が多いからipadでの入力に四苦八苦する。
転職派だった自分を呪う。
指のひりひりが限界に達したら休憩。
ヒリギレ軟膏欲しいな。

最後は指紋が消えてなくなり指紋認証の玄関ドアが開かなくなった。

せつな~い。

働けど働けど わがくらし 楽にならざり ぢっと手をみる by 石川啄木

多分だけど、ぢっと手を見る暇もないオットを思ふ。
働けないつらさを人生で始めて知る。 by くろまめ

 

 

就職活動の成果はゼロ マレーシアとか行けません。

長い長い経歴を入力して登録を全部終えた。
待っていた結果

撃沈。

深く深く沈みました。

海外の労働許可は厳しいという覚悟はあったけど予想以上。
ベトナムも例外じゃない。
ベトナムの人口は若年層が多いせいか、採用条件が40歳以下からいつのまにか35歳未満とか、なに?

1社目
「あなたは申請の条件に達していません、ご理解ください。」

2社目
同じ

3社目も4社目も5社目も…最後の方は「履歴書送ってください」で送っても不採用の通知すら来なくなった。
そして新規労働ビザは発給停止になった。

 

メールで届く人材スカウトはインドネシアやマレーシアの仕事ばかり。

ここまで駄目だとヒトってすっきりとあきらめられるものなんだね。

 

 

就職ができないなら何ができるかな。

家ですぐにできることと言ったら思いつくのはライティングか。
複数のWebサイトにライターとして登録。

ブログは3年放置。

ブログを再開するとしたら、自信はないけどイチから作ってみようか。

やってみなければ何も始まらない。

ちょうどその時、旧ブログ読者さんからのメールが3年ぶりに届き、はずみがついたような気がした。

 

どうせ就職はできない、ブログ再開を決意する

このブログは自分でサーバーを借りてWordPressでつくった。

大変だったかと聞かれたら、誰も聞いてこないけど、そりゃもう大変だった。

でも自分にできたのだから多少PCが使える人ならみんなできると思う。
PCなしでiPadだけでできますか?と聞かれたら、絶対に「無理ゲー」と答える。

スマホとiPadだけでは画面遷移ができない。
プログラミング知識が無ければ何だってハードルが高いけど、iPadで二度はない。

あきらめそうになった時は何度も(古いブログを掘り起こそうか?)と悪魔のくろまめが言ったけど天使のくろまめは「マジだっせーわ」と言った。

機器と知識はないけど、時間だけはたっぷりあったもんね。

 

 

フリーブログを利用せず自分で立ち上げるには

最初にサーバーの申し込みをする。
思い切って年間契約にした。
3か月単位もあったけど、始める以上は継続するしかないのだから、と覚悟を決めた。

ネット情報では日本のサーバー申し込みは1時間と書いてあった。

しかしここでも問題発生、ベトナムの通信の不安定さよ。
途中で何度となくWi-Fiが止まる。
ベトナムの電話番号に認証コードが届かなくて結局ロックされて号泣?

問い合わせをしたら日本は4連休。
海外在住者、日本の祝日気づかない問題。笑

GWだって言われないと気づかない。
海外アクセスの難しさ。
こんちくしょうめっ!

この頃は悲しんだり悔しがったりの無限ループだった気がする。ww
感情的だったんだろうなぁ。
幸いにも「寂しさ」は感じなかった。

結局、契約までにかかったのは1時間じゃなく1週間。(完全に出鼻くじかれ)
そして最低限の設定に1週間。(この辺りで1度あきらめかけ)
指がipadにくっついて痛い。(肩と指が痛くて落ち込み寝込む=身体の不調は心の不調)

デザインにとりかかってる最中になぜかログインできなくなる。(絶望)
トラブルシューティングに明け暮れることさらに1週間。
ベッドに寝転んで天井見つめる。(オイラどうしてここにいるのかな?)

スタートしてからたっぷりひと月以上かかってた。

そして、いまやっと初めての記事を書いている。(感涙)
もちろん設定が完全に終わるまでにはまだまだ時間が必要。

 

 

やっとのことでブログを完成させる

イチから何かを始めるってこんなに大変だったんだね。
すごく勉強になった。
プログラマーの人ってすごいな、ほんとすごい。
HTMLとかPHPとかコーディングとかさっぱり意味不明。

いままで好きな時間に起きて好きな時間に食べる生活。
たぶんこれからもそうだろう。

何も目的がなく、誰とも会話せず、どこにも出かけない。
なぜここにいるんだろうの自問自答は続くけど、ひとりになるといろいろなことにあきらめがついていく。

今回分かったのは必要な情報は調べようと思えばたくさんあるということ。
分からないことを調べずにすぐにひとに聞くのも、ひとに聞かれるのも嫌いな性分だ。
自分の時間も他人の時間も搾取するのは意志に反する。

とにかく毎日いろいろなことを調べてYouTubeやブログに助けられた。

ネット上に情報を載せてくれてる人、ありがとう。
YouTubeで教えてくれる人、ありがとう。

たくさんの情報に本当に助けられた。
もう駄目だと思ったときはふて寝して、翌日起きた時には

「やれば何かはできるかもしれないけど、やらなければ何もできない」
と考えるようにした。

 

シンガポールブログを誹謗中傷でやめてしまったダメな自分。
再開までが大変だったのだから意地でも続けるよね。
根性は意外とあるのかもしれないよね。

不定期更新は許してね。

 

 

くろまめ

タイトルとURLをコピーしました